快晴まつり!

発達障害(ASD、ADHD)のくりのきの今昔。

母との真面目な話(小話)

NHK発達障害をテーマにした
番組をやっていた話の流れで
母と真面目な話をする機会があった。

いつ頃自覚し始めたか、
一番辛かった時期、
その時辛かったこと、
受診した理由
ショックは受けたか否か
世の中的にショックを受ける人の種類
(困りごとはあったけど「障害」って名のつくものだとは
思ってなかった人と単発だと思ってたら併発してた人)
世の中的な当事者の反応などなど…

最後に、
障害者学級みたいなクラスで歩む
人生が良かったと思うか、
それとも今の人生で良かったと思うか聞かれた。

私は少し考えてから「今」と答えた。
母はそれを聞いて「良かった」と言った。

これまで苦労がなかったわけではない。
いじめを受けたこともあったし、
どんなに頑張ってもできず
努力を認めてもらえなかったことも多い。

それでも「今」を選ぶ理由──
それは、「環境に対する感謝」だと思う。

障害者学級では少人数指導で、
確実に生徒一人一人のことを考え
環境が組まれる。
つまり、発達障害を例にとるなら
発達障害のことを
当たり前によく知る人がいる環境だ。

一方「今」の環境は、そうではない。
発達障害と聞いて
敬遠する人と理解してくれる人に分かれる。
幸い私が今までカミングアウトしてきた人は皆
「理解してくれる人」たちだった。
(まぁ、それなりに特性が
表出してるってことなんだろうけど(=`ェ´=)ム)

私が思うに
理解してくれる人がいる環境に感謝できるのは
「今の人生」しかないと思う。

当たり前に敷かれ囲まれた環境では
感謝をすること自体に気付けない気がするのだ。
それは嫌だ…。

というわけで、私は「今の人生」を選んだ。
この理由を聞いたら母は何と言うだろうか…(苦笑)


【今回の泣き分析】
ところで私はめちゃくちゃ泣き虫なんだが
今回は↑はじめの方の
「一番辛かった時期」「その時辛かったこと」辺りでは
もう泣いてたな。はらはらと。(思い出し泣き)

それから、
「遺伝の授業で初めて優性劣性習ったときに
自分のこと絶対劣性だと思った
(だってやること為すことみんな失敗するんだもん。
母と父の悪いところを全部受け継いでしまったと思った)」
と言ったら
「優性と劣性」についての説明をされて、
「学校の先生やママたち親が発見に遅れて
受診に至らなかったのが悪いだけで、
○○が劣っているわけではない」
って言われて嬉し泣き(←号泣)

何泣いてんだって感じだけど、
自分の存在意義が分かんないとか
自信や自尊心欠けてる人が
「劣ってない」って言われると
無性に泣ける。゚(゚´Д`゚)゚。

だって私、今まで生きてきて自分のこと
「劣りの塊」だと思ってきたからね…。

発達障害当事者って
こんなこと思ってんだって
分かってもらえると嬉しいです。
(⚠️あくまでも個人的な考えです)

長々と読んでいただきありがとうございます。